【西音寺の由来】

   西音寺の由来について、次のように伝えられています。
   室町時代、周防の守護大名・大内義隆が大寧寺(深川湯本)で自害したのは1551年のことです。その家臣・川越太郎左衛門尉隆祐は、領地一万石を有し、殿山(麦川小学校の裏手の山)に館をかまえていましたが、主君の没後、菩提を弔うため出家しました。そして本願寺第10世門主・証如上人の弟子になり、法名を祐西と賜りました。  
 祐西は天文21年(1553年)市ノ事(白岩地)の山神社があったあたりに、「法師庵(ほうしあん)」というお堂を建てたと伝えられています。これが西音寺の開基です。いつ頃に現在地に寺が建立されたか明らかではありませんが、山門前の石段の左右の両隅に、山門の寄進者と見られる名前と文政5年(1822年)と刻まれた小さな石柱が存在しますので、その頃までさかのぼることが出来ます。
 西音寺の本堂は、江戸時代・安政年間の1853年ころに焼失し、その後、ほどなくして改築されましたが、明治7年(1874)、再び焼失したため、翌8年に古い堂をあがなって移築したそうです。しかし、雨露をしのぎがたい状態になったため、大正元年(1912)春、改築工事が起こされ、同年10月15日、上棟式が挙行されました。ちなみに、改築前の古い本堂は秋芳町の西福寺に移築されて、現存しております。
 このような歴史をへて、現在の第19世住職まで450年余りの寺歴を有する西音寺は、何代にもわたる多くの篤信の門信徒によって護り継がれて来ました。今後とも門信徒と住職とが一体となって、みんなに開かれた聞法の場として西音寺を護持・発展させ、次の世代に引き継いで行きたいと願っております。